2008年 12月 09日
シーホッパーⅡ
僕の親父はむかし、ヨットをやっていた事がある。
僕がちょうど中学か高校生の頃に始めたと思う。
彼は、YAMAHAのヨットスクールに通った後、三浦・三戸浜の Surf Side Villegeというところの会員になった。最初のヨットはYAMAHAのシーホッパーⅡ。セイルにバッタの絵があるやつだ。
家にはヨットの雑誌が常にあった。KAZI、 SAIL、 Ocean Life・・・。
KAZI とSAILが多かっただろうか。僕はあまり読むような事はなかったが、そう言えばSAILの付録にカセットテープ用のインデックスカードが毎回付いていて、それを勝手に切り取って使っていたっけ。
僕は親父にほんの数回だが付いて行った事がある。その時、恐らく始めて三戸浜でウインドサーフィンなるものを見たのだった。
僕は会った事は無いが、俳優の藤達也さんもそのクラブに通っていたそうで、親父は何回か会った事があったという。
親父のヨットには1回だけ乗った事がある。なぜ1回かというと、その頃は父親に反抗する年頃で、ヨットなんかをする贅沢さが好きになれなかったのだ。でもちゃっかり僕も会員にはなっていたようだ。
親父はその後、ヨットをさらに大きくし、今度は江ノ島の小田急系列のクラブに代った。ヨットは6人くらい乗れるほどの大きさだったらしいが、僕は一度も見る事は無かった。
ちょうど僕が結婚する頃にクラブを退会し、ヨットはクラブに寄付したそうだ。
親父はその時、どういう思いで退会したのだろうか。お金の問題なのか、興味が無くなったのか。
ちょうど僕の結婚式とも重ねっていた時期だったので、「維持費に困ってしまったのだろうか」と思ったりもした。親父ははっきり言わなかったが、泣く泣く手放したのかもしれない。
昔、親父になぜヨットなんか始めたのかと聞いた事がある。そしたら若い時からの夢だったのだと言った。
その時「ヨットなんて・・・」と思っていた僕も、ウインドなんかをやり始めた。考えてみると親父がヨットを始めた時も同じ歳の頃だったようだ。なんとも不思議なものである。はずかしながら、あの頃ヨットをやっていればウインドもすんなりできたかなぁと思ったりもする。
ところで僕の息子達は父(僕)のウインドをどう思っているのだろうか。
僕がちょうど中学か高校生の頃に始めたと思う。
彼は、YAMAHAのヨットスクールに通った後、三浦・三戸浜の Surf Side Villegeというところの会員になった。最初のヨットはYAMAHAのシーホッパーⅡ。セイルにバッタの絵があるやつだ。
家にはヨットの雑誌が常にあった。KAZI、 SAIL、 Ocean Life・・・。
KAZI とSAILが多かっただろうか。僕はあまり読むような事はなかったが、そう言えばSAILの付録にカセットテープ用のインデックスカードが毎回付いていて、それを勝手に切り取って使っていたっけ。
僕は親父にほんの数回だが付いて行った事がある。その時、恐らく始めて三戸浜でウインドサーフィンなるものを見たのだった。
僕は会った事は無いが、俳優の藤達也さんもそのクラブに通っていたそうで、親父は何回か会った事があったという。
親父のヨットには1回だけ乗った事がある。なぜ1回かというと、その頃は父親に反抗する年頃で、ヨットなんかをする贅沢さが好きになれなかったのだ。でもちゃっかり僕も会員にはなっていたようだ。
(カード左側の8142とはSAILの番号、右側の Y-14はヨットの艇名"シーホッパーⅡ”である事を表す)
親父はその後、ヨットをさらに大きくし、今度は江ノ島の小田急系列のクラブに代った。ヨットは6人くらい乗れるほどの大きさだったらしいが、僕は一度も見る事は無かった。
ちょうど僕が結婚する頃にクラブを退会し、ヨットはクラブに寄付したそうだ。
親父はその時、どういう思いで退会したのだろうか。お金の問題なのか、興味が無くなったのか。
ちょうど僕の結婚式とも重ねっていた時期だったので、「維持費に困ってしまったのだろうか」と思ったりもした。親父ははっきり言わなかったが、泣く泣く手放したのかもしれない。
昔、親父になぜヨットなんか始めたのかと聞いた事がある。そしたら若い時からの夢だったのだと言った。
その時「ヨットなんて・・・」と思っていた僕も、ウインドなんかをやり始めた。考えてみると親父がヨットを始めた時も同じ歳の頃だったようだ。なんとも不思議なものである。はずかしながら、あの頃ヨットをやっていればウインドもすんなりできたかなぁと思ったりもする。
ところで僕の息子達は父(僕)のウインドをどう思っているのだろうか。
by anne-lee
| 2008-12-09 21:53
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